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紅茶の起源は、19世紀の中国から始まりました。
紅茶の茶葉は、「紅茶の樹」と呼ばれる樹から採取をしていました。
紅茶の樹とは、紅茶やウーロン茶と同じくツバキ科の常緑樹で、
原種は、中国の雲南省からチベット、ミャンマーにかけての山岳地帯に自生していたとされています。
お茶は、中国での有史以前から、その葉を摘み、不老長寿の霊薬として珍重とされていたそうです。
誕生初期では薬として高貴な人々が引用し、飲み物として一般化したのは6世紀以降のお話。
このような普及の仕方は、紅茶・コーヒー、どちらにも共通しています。
ヨーロッパにお茶がもたらされたのは17世紀。
海上貿易で世界に雄飛していたオランダによって、中国から伝えられました。
それをキッカケに、18世紀のイギリス貴族社会で、
次第に 人気・需要・価値を高めていったのです。
当時のお茶とは緑茶の事を指していました。
そこから紅茶となった経緯について定説はありませんが、
中国のウーロン茶系のお茶がヨーロッパ人の人気を呼び、
製造業者が買い手の嗜好に合わせ、その発酵を進めているうちに、
強く発酵して紅茶が誕生したと言われています。
イギリスで最初にお茶が売られた1657年当時、
それはまだ"万病に効く東洋の秘薬"という程の品物でした。
ところが、1662年 チャールズ2世の元に嫁いできたポルトガルの王女キャサリンが、
中国の茶と当時は貴重であった砂糖を大量に持参し、宮廷に喫茶の習慣をもたらしました。
貴重なお茶に貴重な砂糖を入れて毎日飲むという贅沢な習慣は、
ポルトガルからきたキャサリンのイギリスに対する示威行為だったかもしれませんが、
この贅沢な習慣は、次第にイギリスの貴族社会に広まりました。
17世紀後半〜19世紀初頭までの1世紀余、イギリス・東インド会社はお茶の輸入を独占(独占廃止は1813年に)し、
その取引の利益が、大英帝国繁栄の基礎を築いたとさえいわれています。
お茶を商品として初めて飲ませたのは、
イギリスの貴族や文化人たちの社交場となっていたコーヒーハウス、17世紀の中頃のことでした。
このコーヒーハウスが次第に大衆化し、一般人にも門戸を開くようになり、
やがて紅茶はそこから貴族以外の家庭にも入り込み、食料品店でも販売されるようになって、市場は拡大していきました。
その後のイギリスは世界を先駆けて、産業革命を成功させると、中産階級を中心に食生活にも大きな変化を生じ、
紅茶はすっかり人々の生活の中に定着していきました。
19世紀に入ってから、
イギリスが植民地のインド・スリランカ(当時はセイロン)でお茶の栽培に成功すると、
19世紀までには、中国紅茶をすっかり凌駕するようになりました。
日本が初めて紅茶を輸入したのは明治20年(1887年)で、
初めての輸入量は100kgでした。
この輸入量は、当時明治政府の財政が乏しく、限界まで仕入れることが出来る量が
100kgであったと言われています。
(2020年時点の紅茶輸入量は5330tなので、今とは財政状況が大きく変わっています。)
その輸入先は、原産地の中国からではなく、ヨーロッパ文化への憧れとして、イギリスから行われていたのです。
紅茶が、日本の茶の湯の伝統にも匹敵する舶来文化として、
上流階級でもてはやされたというエピソードがあると言われています。